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巣立つということ

 ‘いってきます、、。’

娘の沈んだ声、、。息子の小さな声、、。

 ‘、、、いってらっしゃい、、。’

小さく返す私の声、、。

この12年間の子育てについての不安がまた今朝襲ってきた。

現代の日本では結婚すること、子供を持つことに対して、大してこれという たいそうな気持ちはないと思う。子供ができちゃったから結婚、、とか、もう仕事したくないから結婚とか、、。

一昔前はそうではなかったはず、、結婚適齢期になると、花嫁修業と言う言葉があった。今ではあまり聞かない言葉、いってみれば‘うざい’とも思われる言葉であると思う。昭和中期に入ると、初期に苦労してきた人たちの子育て真っ盛り、、。子供が多く、子供同士でもみ合いながら育ってきた。しかし、私の両親から何を教えてもらったかの記憶すらない、、。親の幼少の頃どうだったか、自分の先祖がどうだったか、社会人になるとしなければいけないこととか、今思えば、放任だったような気がする。洗濯機ひとつまわし方を知らなかった、、。自分の不安や伸ばしてほしかったことすら親にいえなかった。まあ、全般的にそういう時代だったのだろう。そう、子供時代に昇らないといけなかった階段に私は手を引いてくれる人もいないまま、じっと座っていただけだったのだ。
 そんな中、出会った未来の夫だった人。
彼と暮らすうちに自然と、彼を父親のように思っていた自分がいた。そう育ててくれる人だ。私は育ってなかった。彼と生活をはじめていくうちに私は昇っていなかった階段を少しずつ彼に手をつないでもらって昇り始めたのだ。親とは18年も一緒に住みながら、一緒に生活をしていなかった。歯をなぜ磨くか、、栄養のバランスはなぜとらないといけないか、、人としてどうやって向き合っていくか、、何をしてはいけないか、、そして人をどうやって愛するか、、。この年で育て直しとは本当にもったいない人生を歩んでいるものだ、、。幼少時代においていったものはやり直さないといけなくなる。そう、子供育てに親がしなければいけないことは100%無償の愛なのだ。動物は無条件にこれができている。それは間違いない。それを心に満ち溢れさせたとき人間というものは一人前なのかもしれない。そして家庭を持つ準備ができ、その心を子供たちに注ぐことができるのであろう。私の心を彼に埋めてもらおうとしていた。彼は満たした心で家庭を作ろうとしていた。ただ、ただその違いが大人としての家庭作りができなかった理由だろうと、、ただそれだけだろうと思う。
私の心はもうすでに遅し。小さなことで叱ってしまう心の狭さが心の乏しさを証明してるかのように私の心は子供時代で止まっている、、。卵焼きを焼くとどうしてもぺちゃんとなってしまう、、。ドレスを作るとなぜかふんわりとしない、、お人形を作ると、細く寂しい顔になる、、。私の心は今私が焼く玉子焼きかもしれない。

いつか、、いつか、私のふわふわな玉子焼きを大好きな子供たちにお食べさせてあげれるかな、、?早くしないと、彼らも階段に取り残されてしまう。しっかり2人の手をつないで少し一緒に後戻りをしてもいい、、手を離さないで、心いっぱいになるまで、昇っていかないといけない。
by tebera | 2009-02-16 08:34
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